荒木飛呂彦『JOJOの奇妙な冒険』

最近少しずつジョジョを集めてるのですが、三部ラストを読んでははーんと思ったところがありまして。
三部ラストにおいて時を止める能力を持つ大ボス、DIOとのラストバトル。止まった時の中でDIOは承太郎(DIOよりは圧倒的に短いが止まった時の中を動ける)に向かって言う。
「そこで承太郎! きさまが何秒動けようと関係の無い処刑を思いついた……」
このあと、DIOは止まった時の中で無数のナイフを承太郎に投げつけます。果たして止まった時の中でナイフはどのように動くのか。

A:普通に飛んで承太郎に刺さる
B:ナイフはちょっとだけ普通に飛び、承太郎に当たる直前で動きが止まる(そして時が流れ出すと同時に再び動き始める)

もしも貴方がどちらかを選ぶとしたらAを選びますよね。当然ですね。当たり前ですね。誰だってそーする俺もそーする。しかし、荒木飛呂彦先生はそこでBを選ぶ。我々としては「さすが荒木だ荒木物理学だ。意味が解らん」と呟くしかないわけですが──
しかし、しかしですよ。ここからが本題です。仮に荒木飛呂彦先生がここでAを選んだとしても承太郎の運命は変わらんわけです。
「ナイフが間断なく飛んでくる→動ける数秒でなんとかはじく→その後のナイフでウボァー

つまり荒木先生はナイフがどういう風に飛んできたら格好いいか、ということだけでなく、結果からの辻褄あわせ(過程が変だろうが普通だろうが結果が同じならかまわないだろう、という思想)もやっていたのだなあ、と気付いてしみじみしました。

考えてないようで考えている。考えているようで考えていない。つくづく恐ろしい奴じゃゼイ……。



おまけ
キラークイーンの能力(触れたものが「爆弾」に変わり、「スイッチ」を押すと「吹き飛ぶ」)はクレイジーダイヤモンドの能力(触れたものを「直す」)の逆として考えられていたのだなあ。納得。