『SAW』

前フリと違って申し訳ないが『SAW』をビデオ屋で借りてきた。バイト先の映画館で『SAW2』の上映がそろそろ終わってしまうので、それを見る前に旧作を見てやろうかな、という思惑。
どうもこの映画はミステリとして語られることがあるような気がしないでもないのだがやっぱりそんな気はしなかったのでミステリとしては語らないことにする。君に構うほど僕は暇じゃない。じゃあ誰に構う暇があるのかというと厨なゲームマスター氏・「ジグソウ」に構う暇がある。
僕たちはゲームをするときに、「どれだけ現実をそぎ落とすか」ということに気を配ります。言い換えるならば、「どこまでプレイヤーは干渉できるのか」。
たとえば将棋をする際に、「相手の王を取ればいい」というルールがあります。もしも将棋がそれだけのルールしかなかったら、ゲーム開始と同時に掴み合いです。つまり、「駒は駒でしか取れない」等の理不尽な(=現実と乖離した)ルール、制約がなければゲームにはなりません。現実をゲームに持ち込むのならそれなりに覚悟をしろよ、という話です。
しかしジグソウ氏にはその覚悟がない。覚悟がないからとりあえずチェーンで拘束してみた。ならばチェーンの半径からは決して出れないというルール──と思いきや、解決はあれでがしょ? うーん、それはゲームじゃないぜ。
さらにいうのならばN氏(イニシャルではありません)の勝利条件のなさにあきれ返る。初手のささいなミスでゲームオーバー確定ってどんなクソゲーだ。
「え? なんでここで俺は殺されなくちゃいけないの? せめてダイスロールは?」「ほら、序盤でお前神父に挨拶しなかったじゃん。あれで隠しステータスの信仰心−8。信仰心10以上じゃないと神が助けてくれないんだよ」「くれないんだよて」

似たようなテーマならレッドルーム(http://www.fasco-csc.com/)をやったほうがなんぼか面白い、と僕は思うのです。


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