他人のことが一番判らない

漫画等で「自分のことが一番判らない」とか記述してあるのを見かけるが、それはおかしいのではないか。おかしい、というのが言いすぎならばレトリックに頼りすぎてはいまいか、と僕などは思うのだ。「自分のことは判らない」が正しかったとしても「一番」ではない。情報の入力頻度が違うのだから他人のほうが自分より判りがたいに決まってる。
よくあるシチュエーションとしてはこうだ。
主人公君はヒロインちゃんのことが大好きなのだけれど、それの照れ隠しでついついヒロインちゃんを苛めてしまう。でもそれが好意の裏返しであるのはモロバレ。はたから見ている主人公の親友君などは「なにをやっているのやら。さっさと好きだと言ってしまえばいいのに」。主人公君は言う。「そんなことはない。俺はあいつのことなんて大嫌いだ」「自分のことが一番わからないとはいうけれど……」
である。
だがこれは往々にして間違っている。本当は主人公君は自分の中にあるラブ要素に気付いているし、ヒロインちゃんに意地悪をしてしまうのが自分の好意の裏返しと気付いてはいるのだ。だが、その他に「ヒロインちゃんのなんとなく気にくわない部分」やら「自分は今ラブなどにかまけている場合ではないのではないか」などの要素が加わり、「そんなことはない」という台詞が出てくるのである。
親友君は他人であるため、主人公君の心の底まで知ることが出来ず、結果表面のみを浚って「自分のことが一番」的発言をしてしまう。主人公君の心のわかりやすい部分だけ抽出しているのだからわかりやすいに決まってるのだ。
簡単に言うと「他人を舐めるなバーカ」であり「なにもかもわかった気でいるんじゃねーぞタコ」であり、僕は自己撞着の海の中に沈むのであった。ぶくぶく。