他人のことが一番判らない・補足

「自分のことが一番」云々の台詞がこんなにも世界に浸透したのは「傍目八目」という言葉のせいではなかろうか。ほら、ゲームは傍で見ているほうが最善手が思いつくとかいう例のアレである。
昨日の日記はこの格言を否定するものでは決して無くて、ゲームプレイヤーよりも観戦者のほうが落ち着いて(それの良否はともかく)物事を考えることは確かであろう。ただ、「傍目八目」と「自分のことが一番」の間には深くて暗い川があり、やっぱり男と女は大変なのだ。
「自分のことが一番」の場合観察されるのは「自分(昨日の日記の例で言うと主人公君)」である。対して、「傍目八目」の場合観察されるのは「ゲーム(格言に倣うのならば八目という遊び)」である。
つまり、主人公君とヒロインちゃんの「恋愛事情」を主眼としているときは「傍目八目」で正しいのだが、主人公君の「気持ち」を主眼としているときには「傍目八目」は正しくない。ここらが誤用と混乱と混沌とで双方に使われ適用されて、現状のような「自分のことが一番わからないとはいうけれど……」とかいう腐れた台詞が市民権を得るに至ってしまったのではないか。悲しいことである。ああミゼラブル。