先日の更新で「歴史的意味の時代」と「自らの時代」の混同がある、と述べた。
前者は「人情味溢れる旧来の日本」であり、後者は「うさぎ追いしかの山」だ。二度も三度も同じ説明を繰り返すな、と思う貴方は正しい。いや、ちょっと判りづらいかなって思ってさ……。
悪の組織『イエスタディワンスモア』が進めている計画は『今の世界を前者に戻す』である。それを踏まえて『自分たちが思い描いた夢のような21世紀にする。やり直してみせる』という思想もあったのだが、それはあまり全面に出ることはなかったので省く。基本的には『暖かな日本バンザーイ』だ。
しかし、野原家の父親、ヒロシ等が憧れるのは「うさぎ追いしかの山」であって、そこにギャップがあり宜しくない。前者には全面的に賛同できるが、後者には「子供化願望」というあまり美しくない思想が横たわっており、視聴者は二つに引き裂かれることが出来ない。設計上のミスだ。

とはいっても、子供化した大人というのは怖い。その恐ろしさは子供から見た恐怖──つまり、僕らの世話を大人がしてくれなくなっちゃったよう──よりも、「あ、う、え、えと、その、僕と、ヒロシ達は変わらないのではないか。僕はオトナ帝国に操られてないのに同じぐらいダメだ。死にたい」というオタク同属的恐怖のほうが激しい。僕らは作中で言うところの『昔の香り』を嗅いでいないのに同様にダメ人間なのだ。死にたい。死にたさ萌え。
序盤における野原家のシーンなどはこの恐怖を嫌というほど描いており、それは大変素晴らしい。素晴らしいがゆえにこのシーンは削ることが出来ず、結果いびつな話となっている。なんとも。
(続けば幸い)