『機動戦士Zガンダム3 星の鼓動は愛』

機種依存文字を使うのに抵抗がある、古いタイプの人間でしてね……」
サラ・ザビアロフのどこが可愛いかといいますと彼女の持つ現実的なところが可愛いのです。現実的というのはあれですよ、彼女がリアリスティックな性格だといっているわけじゃありませんよ、現実にいてもおかしくないキャラクターだと言っているんです。
よく「三次にはもう何も感じない。二次嫁こそが最高だ」とか言っている人がいますが、ちょっと待てを連射したいところですね。現実の女性に萌えなければ僕らはどの二次キャラに萌えればいいんですか。
どうも妙に正論めいているのできちんと正論にしますと、構図はこうです。
僕は現実の女性のことが好きだ→しかし彼女には好いてもらえるはずがない→ならば彼女に似た二次キャラを愛でよう、そのまま庵で暮そう
「彼女」は存在しなくても構いません。貴方の夢キャラでも構いません。
「彼女」がこの世に存在したらなあ→しかし現実には「彼女」がいない→ならば二次元だ
つまりですね、「彼女」がこの世に存在していれば(そして「彼女」が僕たちを愛してくれるならば)、誰も二次元などには走らないわけです。そして重要なのが二次元のキャラだろうと現実味をもっていなければどうしようもない。何故ならそうでなければ「存在したらなあ」と願えないからです。
極論を言いますと、キャラクターの魅力はリアリティにあると言っていい。岸部露伴先生もそうおっしゃっておられる。夢設定だけでは駄目だ。夢設定とリアリティが同居してこそキャラクタは映える。
で、で、で、サラ・ザビアロフさんのお話に戻ります。
彼女のどこにリアリティがあるかというとパプテマス・シロッコという名のハンサムにめろめろになるところにリアリティがある。現実の女性はハンサムに言い寄られればめろめろになり、「私たちで世界を創ろう」みたいなことをハンサムに言われれば命を捨てるのだって厭いません(言い忘れましたがツッコミは待ってません)。
よくいるギャル漫画のヒロインはそこんところがぬるいです。彼女には辛い過去のひとつ(自らの容姿をハンサムに罵倒された、せっかく出したラブレターを掲示板に張り出された、等。あ、それでも若葉は西園寺にめろめろだったな。まあ、西園寺はハンサムだからな)もないくせにハンサムに言い寄られても無関心だったりします。その上主人公の「優しい心」とかにはめろっとくる。そんなリアリティのない、都合だけで出来たキャラクタは到底認めることができません。だってそんな彼女がクラスにいたのならば僕らはこんなことになっていたはずがないですからね。
サラ・ザビアロフはそこが違う。シロッコにめろめろになる。しかし、カツの優しさにもめろめろになるのです。
その上、カツの優しさにめろめろになりつつも、もう一回ハンサムに優しい言葉をかけられるとやっぱりハンサムにめろめろになってしまう。そんなやりとりを数回繰り返した末に「しょうがないじゃない、貴方たちよりも先にシロッコに出会っていたのよ!?」とか恋愛話を順序で決定しようして逆ギレ。サラさんの心の天秤はまさに釣り合って動かず、カツはシロッコといい勝負をしている! 見事な景観です。
だからみんなももっとサラさんを可愛がるといいと思います。心のなかで決着がついてないのに条件反射でシロッコをかばって死ぬとかもうね、たまらん。


評価:A